ぬるま湯やっほー

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どうして勉強しなくちゃいけないの?

どうして勉強しなくちゃいけないの?
20代後半になって、ちょっと分かった気がするので一旦まとめておこうと思います。高校くらいまでの勉強の話です。また30代とか40代になると考え変わってくるのかも知れないですが。僕には1歳半の子供がいるので、将来聞かれた時にこの記事のことを思い出せるように。勉強する理由は2つあると思っている。

勉強する理由1 ルールを知るため

僕の持論だけど、人生はゲームと同じもんだと思っている。ゲームと言うと嫌な顔をする人もいるかも知れないが、ポジティブな意味でです。「人生とは最高に楽しいゲームになりうるもの」であるということ。複数人でやるボードゲームみたいなものが近いと思う。うん。スマブラというよりはマリオパーティかな?あんまりやったことないけど。で、プレイヤーの性格によるんだけど、勝てないとつまらないとか、負けても楽しいとか。どこに幸せを感じるかは人それぞれ。僕的には勝っても負けても楽しいと思えると、尋常じゃなくすごく幸せになれると思うので、子供には、その辺をさりげなーく伝えて行きたいとは思っている。

で、何が言いたいかっていうと、ゲームには必ずルールが存在するということ。ルールを知らないと、ゲーム自体があやふやになってしまい面白みにかけてしまう。というかルールがあって初めてゲームは成立する。そして人生というゲームのルールは超複雑。しかもよく改定される。複雑過ぎて、把握しきるまでに普通の人なら半世紀以上かかる。いや一生把握仕切れないのかも。だから要所だけ、最低限プレー出来るように、要所だけを学ぶのが学校であり、学校の勉強である。複雑さ故、あらゆる角度からルールを教え込む。国語だったり、算数だったり、家庭科だったり。もちろんいわゆる「学問」というのはその一部であり、「部活」や「学校行事」もその一部である。そして大人になるに連れて、ルールを学ぶ割合が減っていき、実際プレーすることが多くなっていく。これは「友達と遊ぶこと」だったり「異性を愛すること」とか「喧嘩すること」とか「社会に出て働くこと」とか「子供を持つこと」とか「誰かが死ぬこと」とか「自分が死ぬこと」とか。もちろん生まれた瞬間から自分でプレーしているわけだが、面と向かって他人や親が丁寧にルールを説明してくれるのは生まれてから、学生が終わるくらいまで。その先は基本的に自分でプレーしながら自分で考えて学んでいくしかない。なぜ学ぶのか、そう。より楽しくプレーするためである。

ちなみに「なぜ楽しくプレーしなければならないのか」という部分に疑問を持ってしまったらすごく厄介なので、ここは幼少期の間に刷り込むしかないと思っている。一緒にいっぱい遊んであげて、一緒にいっぱい笑うしかない。内から湧き上がる「楽しい」を死ぬほど教え込まなければならないと思っている。だからみんなガンガン育休取りなさいよ。とくにお父さん。

勉強する理由2 普遍的な解決アプローチを学ぶため

1つ目の理由とすこし似通っているんだが、人生には困難がつきもので、困難は解決するとすごく生き易い。解決できないと生き辛い。その解決アプローチを学ぶために、学校の勉強は存在している。「じゃぁ練習で人生について悩んでみよう!」って言われても悩める訳が無い。困難にぶつかって、初めて悩める。じゃぁどうやって練習しよう。そうだ、あらかじめ問題と回答を用意して、その問題を解かせれば良い。もちろん学問的な解決方法で、人生の困難が解けるのかと言われれば甚だ疑問ではあるが、そのはじめの一歩の練習だと思えば納得出来ないでしょうか。もちろん、勉強を通さなくても、普遍的な解決アプローチを身につける奴はごまんといるし、あくまで大衆をターゲットにした一番適切な方法であるということ。そしてこの背景には日本が裕福であるからということも同時に意識して欲しいと思っている。そもそも困難だらけで、この方法をとることさえ出来ない貧しい国、状況もたくさんあるのだ。彼らは練習を通さず、いきなり本番に挑戦させられる。あまりにハードルが高い。学校で学べることは、とても優しくて効率的なことなのである。その先にあるのは、勉強が出来るようになることではなく、幸せに生きられるようになるかなのである。

また大人が子供達に伝える努力も大切だと思っている。