ぬるま湯やっほー

アプリ作って生活しようと思ってます。

見逃し三振より空振り三振は間違っている

よく「見逃し三振より空振り三振」ってのを座右の銘に掲げている方おりますが、意味を履き違えている人がいるので気をつけましょう。

目を開け

野球に例えるなら、目をつぶって練習するようなもんです。絶対に成功しません。必ず球を見て、当てようとする必要があります。毎日バッティングセンターで2時間練習しています。でも全部目をつぶってます。そんな人が成功すると思いますか。確かに必ずフルスイングは出来るでしょうけど笑。

無駄な努力はある

もちろん「行動が全て」です。ただ鵜呑みにしては行けません。仮説を立ててから行動し、行動の後は必ず検証する必要があります。たまーに、ここら辺の過程をすっ飛ばして行ってしまう天才はいますが、我々凡人はとにかく頭を使う必要があるのです。そして検証には膨大なサンプルが必要になります。なので側から見ると、成功者はとにかく、がむしゃらに時間を費やしてるように見えますが、内部で何度も何度も仮説立てと検証が繰り返し行われているのです。

動いていなくても動いている時がある

なので「あえて見送る」という場合もあります。コースを見て、確かにバッドに当てることは出来ると感じますが、予想でボールコースだと思った場合、毎回振っていては検証し辛いです。勝ち辛い相手の場合コースがストライクゾーンだとしても、あえて球を見送って検証をする場合もあるでしょう。これはビジネスや仕事でも同じです。待つのも仕事であり、休むのも仕事なのです。なので見逃し三振でも、その行動が大いに役立っている場合もあるわけです。だからこの「見逃し三振より空振り三振」という言葉自体を鵜呑みにして「とにかく動かなきゃ!」と焦っては行けません。

バッターボックスに立て

これが何より大事です。結果、見逃し三振でも、空振り三振でも、自分の中で仮説と検証が出来ればそれでいいんです。とにかくバッターボックスに立つこと。それが大前提です。そして検証することが出来て、初めて行動したと言えます。
例えば、僕はアプリを作るプログラマーですから、この場合、バッターボックスに立つということは、アプリを作ることです。そして行動すると言うことは、実際に運用しユーザー数や売り上げを追いかけていくことや、アクションからさらに使い易いUI/UXを研究することになる訳です。プログラミングを勉強しただけでは、バッターボックスに立つことすら出来ないのです。アプリを作りましょう。
もう一つの例で、「英語が話せるようになりたい」という目標があれば、バッターボックスに立つのは英語を勉強することではありません。外人の前に立つことです。そして会話をすることが行動することになります。ただ筆記テストで良い点をとっても一度も外国人と話したことがなければ、意味がないのです。逆に勉強してなくても、外国人と毎日話していれば自然と会話が出来るようになっていくでしょう。

まずはバッターボックスに立ちましょう。